邪馬台国の場所

投稿者: | 2025年8月26日

邪馬台国の場所と「空白の四世紀」と呼ばれる時代の研究について、研究者ではなく報道機関の立場から纏めた本。

昔から議論の続く、邪馬台国の場所の近畿説と九州説。魏志倭人伝よりかなり後の15世紀に書かれた最古の世界地図である「混一疆理歴代国都之図」ですら、日本は時計回りに約90度回転して書かれている。すなわち、魏志倭人伝にある「南に進む」という表現は、実際は東に進んでいたと解釈できるという学説があるそうだ。方位は太陽や北極星を見れば勘違いに気づきそうなものであるが、この地図を見せられると納得できる。ただし、この地図も写本が複数あり、90度回転しているのは龍谷大学所蔵の1つだけとのこと。

また、邪馬台国は、その「南」にある狗奴国と抗争状態にあり、後に制圧していったとのことだが、これも「東」と読み替えれば、日本武尊や征夷大将軍が進めた蝦夷討伐の歴史と重なるように思う。

やはり、邪馬台国→ヤマト政権であり(音も似ている)、近畿説で説明できる事項が多いように感じた。音も似ているといえば、卑弥呼≒日の巫女、すなわち太陽信仰と繋げる話も個人的には好きである。更に進めて、天照大御神であるという説も興味深いが、以下の伊勢神宮についての研究によれば、そうとも言えないようである。