ある論文誌Aから来た査読依頼を受諾してコメントを返した。その2か月後、別の論文誌Bから全く同じ論文の査読依頼が来た。どちらもIFが1前後の英文誌だが、1つ目の方が高い。そんなに辛辣なコメントを送ったつもりはないが、最初の論文誌Aでは編集者がリジェクトの判断を下したので、論文誌Bに再投稿したと思われる。
別の論文誌に再投稿しても同じ査読者に当たることがあるとは聞いていたが、本当だった。著者が投稿時に、私を査読者の候補として繰り返し挙げているのかもしれない。それにしては、非常に関連する私の論文は引用されていないが。
ほとんど変わっていない
私自身も、リジェクトされた論文を再投稿することはよくあるが、査読者から頂いたコメントに対して必ず何らかの修正はする。たとえ別の査読者が読むとしても、同様の意見を頂く可能性があるからである。また、リジェクトされた査読コメントほど、厳しい指摘をしているので、弱点が明確に示されていることがある。
残念ながら、今回の論文を前回の物と比較すると、ほとんどそのままである。こちらが指摘した軽微な誤記だけは修正されていた。同じ査読コメントを張り付けて返すだけなので査読は楽だが、投稿者も同じ査読者に当たったことに気づくだろう。この状況は査読者も著者も余り良い気持ちではない。
やはり別の論文誌への再投稿であっても、コメントには全て対応すべきだ。
査読は人のためならず
知り合いの編集者からの査読依頼もあるが、知らなかった論文誌の全く知らない編集者から、知らない著者の論文査読依頼が来ることの方が多い。悲しいことに、自分が書いて受理された論文よりも、査読した論文の方が、本数も平均のIFも高い。1件の投稿に2~3人の査読者が付くのだから、査読件数の方が多いのは当然かもしれない。ハイレベルな論文誌から査読を依頼されると何となく偉くなった気がするが、自分の論文がそこに受理されるのは難しいだろう。編集者も私のレベルは分かった上で依頼してくれているのだろうから、臆せず依頼に応えている。
もちろんそのような論文誌に投稿される原稿はレベルが高く、自分の専門分野とも関連しており、最新の研究内容を目にすることが出来る。全然関係ない分野の論文誌から依頼が来て、流石に無理だと思ったが、よくよく見ると本質的には同じ非線形振動現象が絡んでいる内容で、こんな応用分野があるのかと大変勉強になったことがある。編集者もよく自分を選んだなと思う。また、査読依頼があって初めて知った論文誌が、自分の研究テーマと親和性が高いことが分かり、次は著者として投稿したこともある。
査読はそれなりの労力を要するが、以上のように得られるものが多いので、今のところ全て対応している。ただし、これもまだ年間数件のレベルだから可能なのであって、著名な研究者なら毎週のように来るだろうから、断るか他者に振る必要があるだろう。無下に断るのは簡単だが、その場合は他の査読者候補を挙げて欲しいと依頼文に書かれているから、気軽に断れないという事情もある。